天竺旅行記(その6・バラナシ)
2008年 06月 18日
しばらくガートにいたのですが、その後ガンガーをクルーズする船に乗ることに。ツアーって、一応観光客が「やりたい」って言うことは結構ちゃんと盛り込んであるんですよねえ。まあ、自分で手配しないのが楽っちゃ楽なんですが、ちょっとつまらないかも…と思い出すこのごろ。インドにもなれたんですかねえ。
ていうか、インド、全然危険なんかじゃないんですけどー。最初だけかなあ、ちょっと戸惑ったのは。これまで数あるインド本ではものすごくカモられるとか言われてたんですが、物売りもしつこいっちゃしつこいんですが無視してたらたいていどっか行くし、騙そうとしてるのだってたいしたことないっつーか、かわいいもん?ものすごく悪い人ばっかりってイメージだったんですが、ホント、一人でも旅できる感じです。実際一人で旅している人なんていっぱいいるし。今度はフリーで行きたい感じですねえ~。ただ、まあ、これはどこでも言えることですが、テロだけはどうしようもありません。ドカンとやられた場所に居合わせたらしょうがない感じですかねえ。日本は安全とか言うけれど、地震だって起きるし、世界中どこに行っても「絶対安全」なんてことはないですし。
とかまあ、そんなことを考えながら小さな船に乗船。もう、ひっくり返るような小さな船。これ沈まないのかー?って感じの(笑)。そこから、ガンガーをクルーズするのです。クルーズというと何か豪華客船みたいな感じですが、木の小さなボートで行くのでクルーズっつーか遊覧って感じが合うかも。
船がガート(沐浴場)から遠ざかります。今までいた場所が小さくなっていきます。
いたときには気づかなかったんだけれど、壁なんかにもいっぱい、神様の絵が描かれているんですね。小柄なおじいさん船頭さんが、グイグイオールをこいで河を上ります。何だか、のんびりとしていて、静かで、ものすごく癒される感じがしました。ガンガーの水、ものすごくきれいだとあたしは思いましたよ。日本的に言えば、死体を流す河で沐浴するなんて…なんて言いますが、別に、泳いでも全然かまわないくらいはきれい。さすがにどっぷりつかるとその後車に乗れないと思ったので、手足だけつけてみました。あたしの罪も洗い流してくれたでしょうか。
ボートが遊覧していると、泳いでいる子どもたちに会います。どこの子どもたちも元気。インドのガキどもは、すぐ金をせびろうとするのですが、こちらから話しかけた子どもは全然普通の子がいっぱいです。カメラを向けると、元気に手を振ってくれました。
その後は人間観察に終始。と、言っても、何だかホントにぼーっとしてしまって、気持ちいい時間をすごしました。ものすごく暑いのは暑いのですが、ホントに何もかもを忘れてボーっとする時間です。インドの旅の中で、やっぱりこのバラナシが一番あたしは好きかも。何度でも訪れたくなるような場所です。
沐浴ではさすが聖なる河。みんな体を水に浸して、祈っています。あたしは神なんてまーったく信じていない人間なんですが、この人たちにとっては、神は至上の存在として、すがるものとして、今も存在しているのでしょう。
ガンガーの反対側はなぜか、何もない場所です。不浄の場所だとかで、反対岸はなーんにもありません。でも、人も誰もいない風景はまた格別。オレンジに染まるのではなく、曇っているのでもないまったりとした雰囲気が、とてもガンガーらしかったです。
小さな花を買いました。ろうそくをともし、水に流しました。神など信じていないあたしも、何かに祈ってみました。この幸せが、いつまでも続くようにと。
一旦、ガートの端まで行って折り返し。今度はくだりです。あまりにも広い河なので、どちらが川下か最初分からなかったのですが、花の流れていくのを見て実は、今までは上流に行っていたのだと気づいたトンマなあたし(笑)。くだりは小柄な船頭のおじいさんも楽そうでした。
また来た流れを今度は流れに逆らわずに下ります。そのまま、ずっとそこにいたいと思わせるような流れ。静かで、優しくて、何もかもを包み込む流れでした。
ガートに目を凝らしてみました。いたるところに、ヒンドゥーの神様が描かれたり、像になっています。ヒンドゥーは神様が多いんですよね。あたしのお気に入りは象のガネーシャという神様。
何となく、かわいらしいんですよ(笑)。
それから、階段の多いガートを見つめていました。そこに生きる人たちが、そこでしずかな生活をしている様子。何だか、いいなあ…と思ってしまった。うらやましかった。この流れを間近に見ながら生活できるなんて。この生と死との境のような場所で過ごすなんて。そこは、汚物があり、死体があり、腐臭が漂う町。狂犬病に侵された犬たちが人間の死体を食う町。牛がのんびり歩く町。人間たちはひっきりなしに沐浴して、何かに祈る町。小汚くて嫌という人、受け付けない人もいるかもしれない。けれど、あたしは死ぬときはここを目指すというヒンドゥーの人の気持ちは何となく分かる。あたしも、ここで死ねるなら本望かもしれないと思えました。
最後に、火葬場になっているガートでボートを降りました。煙が上がっているときは撮影禁止だそうで。人間を燃やしているそう。たくさん、たくさんの薪がおいてありました。人間の、死んだ遺体を燃やすために。
たくさんの灰があがっていました。野良犬たちがにおいをかぎつけて、食べようとやってくるのを遺族が追い払ったりしていました。何がいいって、何がいいのかあたしも分からない。けれど、ここを目指す気持ちは分かる。言葉でなんて到底説明できない生と死の境の町。あたしは、ここに来てよかったと思えました。そしてまた、訪れたいと。
つづく。
ていうか、インド、全然危険なんかじゃないんですけどー。最初だけかなあ、ちょっと戸惑ったのは。これまで数あるインド本ではものすごくカモられるとか言われてたんですが、物売りもしつこいっちゃしつこいんですが無視してたらたいていどっか行くし、騙そうとしてるのだってたいしたことないっつーか、かわいいもん?ものすごく悪い人ばっかりってイメージだったんですが、ホント、一人でも旅できる感じです。実際一人で旅している人なんていっぱいいるし。今度はフリーで行きたい感じですねえ~。ただ、まあ、これはどこでも言えることですが、テロだけはどうしようもありません。ドカンとやられた場所に居合わせたらしょうがない感じですかねえ。日本は安全とか言うけれど、地震だって起きるし、世界中どこに行っても「絶対安全」なんてことはないですし。
とかまあ、そんなことを考えながら小さな船に乗船。もう、ひっくり返るような小さな船。これ沈まないのかー?って感じの(笑)。そこから、ガンガーをクルーズするのです。クルーズというと何か豪華客船みたいな感じですが、木の小さなボートで行くのでクルーズっつーか遊覧って感じが合うかも。
船がガート(沐浴場)から遠ざかります。今までいた場所が小さくなっていきます。
いたときには気づかなかったんだけれど、壁なんかにもいっぱい、神様の絵が描かれているんですね。小柄なおじいさん船頭さんが、グイグイオールをこいで河を上ります。何だか、のんびりとしていて、静かで、ものすごく癒される感じがしました。ガンガーの水、ものすごくきれいだとあたしは思いましたよ。日本的に言えば、死体を流す河で沐浴するなんて…なんて言いますが、別に、泳いでも全然かまわないくらいはきれい。さすがにどっぷりつかるとその後車に乗れないと思ったので、手足だけつけてみました。あたしの罪も洗い流してくれたでしょうか。
ボートが遊覧していると、泳いでいる子どもたちに会います。どこの子どもたちも元気。インドのガキどもは、すぐ金をせびろうとするのですが、こちらから話しかけた子どもは全然普通の子がいっぱいです。カメラを向けると、元気に手を振ってくれました。
その後は人間観察に終始。と、言っても、何だかホントにぼーっとしてしまって、気持ちいい時間をすごしました。ものすごく暑いのは暑いのですが、ホントに何もかもを忘れてボーっとする時間です。インドの旅の中で、やっぱりこのバラナシが一番あたしは好きかも。何度でも訪れたくなるような場所です。
沐浴ではさすが聖なる河。みんな体を水に浸して、祈っています。あたしは神なんてまーったく信じていない人間なんですが、この人たちにとっては、神は至上の存在として、すがるものとして、今も存在しているのでしょう。
ガンガーの反対側はなぜか、何もない場所です。不浄の場所だとかで、反対岸はなーんにもありません。でも、人も誰もいない風景はまた格別。オレンジに染まるのではなく、曇っているのでもないまったりとした雰囲気が、とてもガンガーらしかったです。
小さな花を買いました。ろうそくをともし、水に流しました。神など信じていないあたしも、何かに祈ってみました。この幸せが、いつまでも続くようにと。
一旦、ガートの端まで行って折り返し。今度はくだりです。あまりにも広い河なので、どちらが川下か最初分からなかったのですが、花の流れていくのを見て実は、今までは上流に行っていたのだと気づいたトンマなあたし(笑)。くだりは小柄な船頭のおじいさんも楽そうでした。
また来た流れを今度は流れに逆らわずに下ります。そのまま、ずっとそこにいたいと思わせるような流れ。静かで、優しくて、何もかもを包み込む流れでした。
ガートに目を凝らしてみました。いたるところに、ヒンドゥーの神様が描かれたり、像になっています。ヒンドゥーは神様が多いんですよね。あたしのお気に入りは象のガネーシャという神様。
何となく、かわいらしいんですよ(笑)。
それから、階段の多いガートを見つめていました。そこに生きる人たちが、そこでしずかな生活をしている様子。何だか、いいなあ…と思ってしまった。うらやましかった。この流れを間近に見ながら生活できるなんて。この生と死との境のような場所で過ごすなんて。そこは、汚物があり、死体があり、腐臭が漂う町。狂犬病に侵された犬たちが人間の死体を食う町。牛がのんびり歩く町。人間たちはひっきりなしに沐浴して、何かに祈る町。小汚くて嫌という人、受け付けない人もいるかもしれない。けれど、あたしは死ぬときはここを目指すというヒンドゥーの人の気持ちは何となく分かる。あたしも、ここで死ねるなら本望かもしれないと思えました。
最後に、火葬場になっているガートでボートを降りました。煙が上がっているときは撮影禁止だそうで。人間を燃やしているそう。たくさん、たくさんの薪がおいてありました。人間の、死んだ遺体を燃やすために。
たくさんの灰があがっていました。野良犬たちがにおいをかぎつけて、食べようとやってくるのを遺族が追い払ったりしていました。何がいいって、何がいいのかあたしも分からない。けれど、ここを目指す気持ちは分かる。言葉でなんて到底説明できない生と死の境の町。あたしは、ここに来てよかったと思えました。そしてまた、訪れたいと。
つづく。
by timetoki
| 2008-06-18 00:31
| INDIA